道に背き迷うことなかれ
心に宿る欲と執着を捨てよ。
捨て去るごとに煩悩は消えゆく。
縁を頼りに苦難を乗り越える。
俗心を断てず振り返る時は、あなたの幸せをそっと祈ろう。
空を悟れば、心は解き放たれる。
真理を知れば、新たな世界が開く。
因果の行く末に思いを巡らせても、生死の瞬間は誰にもわからない。
憎しみを捨て無我を得よう。
根みを捨て喜びを得よう
欲にまみれて悪に手を染めた時、悔い改めれば、いつかば救われる。
人々が欺き会えば信じ合う術を失う。
猜疑心が己を苦しめる。
最後の聖地でパワーゲートが始まった。
一番恐れていた戦いが現実に!
パレスチナ問題を理解しないと世界の動向など全く理解できない。
イスラエル(アシュケナージ人・白人)、パレスチナ(スファラディ人・黄人)
ユダヤ人にも二通りあり、アシュケナージユダヤ人(白人の偽物)とスファラディユダヤ人(モンゴロイドの本物)になります。
パレスチナ人と日本人はハプロタイプD系統で元々は同族です。
1932年満州国成立しますが、所謂ふぐ計画もユダヤ人(パレスチナ人)の保護でした。
満洲(現在の中国東北3省遼寧省、吉林省、黒竜江省)は中華国でも7つの軍区に別れ、旧満州国は瀋陽軍区に位置し、中華国軍区でも一番力を持ち資金も一番持っています。
話しは戻し、イスラエルは15年間、ガザのパレスチナ人に対して言いようのない戦争犯罪、非人道的扱い、違法な集団罰を犯してきました。15年です。この事実を考慮しないコメントや分析は、空虚で、不道徳で、非人間的です。また、イスラエルはパレスチナの住宅を破壊し、作物畑を焼き払い、井戸や泉の水源を破壊した。パレスチナの95%の土地を奪い、パレスチナは消滅寸前に追い込み、イスラエルはかつてパレスチナ人が利用する泉や井戸にセメントを流し込んで飲み水を絶たした。イスラエルは犯罪国家だ。
ヨハネの黙示録にあるハルマゲドン(アルマゲドン)
世界の終末における最終的な決戦の地。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す(戦争を終わらせる最後の戦争。一説では大艱難の頂点がハルマゲドンとも言われている)。それがエルサレムのシオン。日本ではギオン(祇園)
ヨハネの黙示録16章に書かれています、太陽は火で人々を焼くことを許された。稲妻と、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。
人々は、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。
人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。
ラストウォー(LAST WAR)2025
経済の重心が西側から東側に移動。2021年9月に中央アジアのアフガニスタンから米国陸軍が撤退。シルクロードにあるアフガニスタンは東西貿易の十字路である。重要な要であるが為、米国がイチャモンを付けベース駐留した。
2022年2月に西側で始まったロシアのウクライナ侵攻も茶番にしか過ぎないが、これも米国によるウクライナに点在するバイオ兵器製造所の攻撃が目的で、プーチン大統領が踏み込んだ。全て米国メディアによる情報作戦である。ロシアが悪い、プーチン大統領が悪であると。
いよいよラストウォーも重心が東側に移りつつある。米国の誘導により。
日本は確実に台湾有事に引き込まれる。政府の動きを見ても国防費の増額に伴う消費税等こぎ着けた増税がかなりの数で議論されている。
その手助け役が第二の大日本帝国、北朝鮮である。近年やたらと大陸間弾道ミサイルを飛ばしている。(実際ミサイルは飛んでいないが。これも日本メディアの国民洗脳である)
台湾のTSMCが熊本に建設中ですが、これも数年前から決まっており、その為、熊本空港は熊本県知事の指導のもと改築された。(新ターミナル2023.3.23オープン)
今、台湾有事に向けTSMCの社員や国民が、色んなコンテンツを日本に移動し始めている。
ですから急ピッチで工場建設も24時間体制で進められています。※世界的に半導体需要は落ち込んでいるのにです。世界的需要の落ち込みは、世界的人口調整が進んでいるからです。
何故、TSMCが熊本だったのか? 地下水が豊富? 日本ならたいがいの場所でボーリングすれば地下水は豊富だと思います。
恐らく熊本地震との関係があると思いますが、熊本は旧帝国陸軍の最前部隊、基地です。
TSMCが工場建設している周辺は、旧帝国陸軍との関係があるソニー、化血研等があります。
東京電力福島第1原発の処理水海洋放出を実行、中国が処理水放出への対抗措置として日本産水産物の全面禁輸。また、在中国日本企業への嫌がらせ不買運動等が日々エスカレートしています。これら等が政治的問題になれば、、、
日本政府も対応に苦慮するでしょうし、政府もラストウォーは避けられないと思っているはずです。事は着々と進み国民も引きずり込まれるでしょう。
神武天皇
高知県の唐浜に上陸した神武らは、現在の安芸郡安田町に7年ほど居住する。
安芸には昔は大きな都市があったとされ、その痕跡となる物も発掘されている。
安芸で7年ほど過ごした神武らは、自分たちの領土を広げるために朝廷を開くことを志す。
そして行われたのが「神武東征」で、四国(とくに高知県:土佐国)を拠点として日本を征服して行った。
これが現在の日本の文化の原点となる。
神武が日本を征服することにより、それまで日本にいた天皇が裏に隠れることになるが、これが本当の「国譲り」というものだ。
そこから縄文人とヘブライの血を引く人たちが混じり(その前からも混じっていたが)、ヤマト民族(ここは敢えて漢字ではなくカナカナで記しておく)というのが出来て行く。
今言ったように、神武以前に渡来したヘブライ人は沢山いるだが、朝廷は開かなかった。
例えば、徐福も大陸から渡ってきた民族だが朝廷は開かず…
朝廷を開いて建国したのは神武が初めてである。
前回の記事でもお伝えしたように、日本にはもともと上古75代と呼ばれる天皇が存在していたが、神武が日本を征服したことによって、もとからいた天皇と入れ替わり、朝廷を作ることで「ヤマト朝廷」が誕生した。
後に日本のそれまでの歴史を消し、聖書をもとに日本のストーリーとして新しく書かれた歴史書が記紀神話(古事記と日本書紀)である。
聖書と記紀神話に共通点が多いのはそのためだ。
編纂したのは後から権力を握るようになる藤原家(藤原不比等)だ。
藤原家も神武と同じヘブライの血を引いた民族だからだ。
皇室は神武天皇からずっと血筋が続いていると言われているが、実際には全く続いておらず男系でもない。
だから実際には神武天皇以前の「天皇制」が大切で、この天皇制システムを守り続けているのが「籠神社」というわけだ。そして、籠神社を中心とした信仰体系を「物部神道」と呼ぶ。
それ以前から日本にあった神道を「古神道」とも言うが、19世紀末に広まった古神道と区別するため、物部神道以前の神道を「原始神道」、19世紀末に広まった神道を「復古神道」と呼ぶ。
こうして、表の天皇(神武)と、裏の天皇(上古75代)で二重構造となる。
その後にユダヤの儀式に倣い、さらに表からも裏天皇を排出することで、天皇は最低でも三重構造となっている。
上古75代の血を引く天皇の正体は絶対に分からないようにしてあり、そこに近づいたり踏み込んだりすれば、まず命はないと思った方が良いだろう。
このように、日本の原点は四国にあるのだが、四国(死国)として封印。(アークが隠されたのも四国)
死人に口無し…というわけである。
そんな四国だが、数字の「4」だけでなく「2」も大きく関係する。
というのは、四国という4つの国(県)には、それぞれ2つの地名があり、 ご存知のように下記の通りだ。
徳島=阿波
香川=讃岐
愛媛=伊予
高知=土佐
2つの名をもって4国となるのだが、これは四国が2面性(表と裏)を持っていることを示唆している。
また、計算でも面白いことが分かる。
2+2=4
2X2=4
同じ数を足しても掛けても同じ答えになるのは「4」しかなく、2と4が深く関係していることが分かる。
さらに、足す(+)は、漢数字の十(じゅう)とも読むが、十 = 10 = Ten(テン)= 天(Heven)= 天国 = 死者が逝く世界…となる。他にも、足す(+)は、磔刑を意味する十字架。
イエス・キリストは十字架に架けられて処刑されている。(実際は違うが)
この十字の下が長い記号を日本では「短剣符」と呼び、欧米では「ダガー」と呼ぶが、いずれも「死」を意味する。
※ 実際にPCで「ダガー」と打てば予測変換候補に「†」が出てくる。スマホでは未確
認。
一方、掛ける(X)は、逆に「生」を意味する。
「掛ける=掛け合わせ」…は、合体や交配の意味があり、陰と陽の合体で生命の誕生
があるから。
だから「四国=日本」は死んで蘇るのだ。
※ 四国と日本がイコールなのは、四国が日本の原点だから。
要するに、2+2=4は「死」を意味し、2X2=4は「生」の意味となり、これはユダヤの教義とも繋がる。
四国の「四=シ」の音は、言霊で「死」となり、「四=ヨン」と読めば、言霊では「ン」が省かれるから「ヨ」となり、これは蘇るの「ヨ」となるわけだ。
ついでに言えば、アルファベットでは、A、B、C、Dと4番目は「D」で、「Death(死)」または「Die(死ぬ)」を意味するが、ギリシャ語では、Α(アルファ)、Β(ベータ)、Γ(ガンマ)、Δ(デルタ)と4番目は「Δ」となる。デルタは、三角のことで、三角州(デルタ地帯)を示し、股間のことも「デルタ地帯」と呼ぶ。
※ 実際にPCで「デルタ」と打てば予測変換候補に「Δ」が出てくる。スマホでは未確認。
そして、三角(デルタ=股間)は、生殖器を指し、「性」と「生」を示す。(性によって生があるから)
但し、こちらの「生」を意味するデルタは厳密には下向三角(▽)である。
一方の上向三角(△)は天を向いているから死を意味する。(天国に逝くという意味)
だから昔は死人の頭には天冠(てんかん)という三角巾を巻いていた。
つまり、デルタを表現する三角形には、上向三角(△)と下向三角(▽)があるということ。
この△と▽を重ね合わせると 六芒星(ダビデの星)となり、この概念はユダヤから来ていることが分かる。
このユダヤの六芒星が日本では「籠目」となった。
要するに何が言いたいかと言うと…
これまで死んでいた四国が蘇るということ。(隠されていたことが表に出てくるという意味)
同時に日本は一度死んで蘇るということ。
そして今、その段階に入っていて、これは2020年から始まっている。
なぜなら、2020はダブルで「2」が出てくる。先述したように、2と2は足しても掛けても「4」である。
死んでいたものが蘇る(四国)一度死んでから蘇る(日本)
神に創られた数字の世界
数字は1から9に帰結(数字根) 「数字」は、どんなに天文学的大きな数字であっても、どんなに小さな数字でも、足して行くと必ず1~9に戻る…中国武漢ではコロナは2019年から始まっているが、日本では2020年から始まったのはそのためだと思われる。(神の計画だからだ)
今思えば、2020年の年始めのこと。まだコロナの「コ」の字も噂が出ていない時である。
2020年(令和2年)は「岐路」を意味し、これがターニング・ポイントとなる…
四国も死んで蘇る…日本も一度壊れて再生される…実際にコロナ、マスク、ワクチンで人々は分断され、2つに分かれていった…まさしく岐路である。そして今、四国が蘇ろうとしていて(隠されていたことが表に出てくるという意味)、日本も一度壊されて再生されようとしている。
世界情勢のポイント
「犬猿の仲」のイランとサウジが中国の仲介を受け入れたワケしかし、長年の懸案であったシーア派のイランとスンニ派の雄サウジアラビア王国との手打ちはどうして成り立ったのでしょうか?
そしてどうして中国による仲介を両国が受け入れたのでしょうか?
それは【中国が唯一イランに影響力を行使できる国】であり、サウジアラビアにとっては、【アラブの春が中東・北アフリカ諸国を席巻した際、アメリカと欧米はサウジアラビア王国を捨てましたが、そこに入ってきて国際社会およびアラブ社会でのメンツを保つ助けをしたのが中国だった】という背景があるからだそうです。
以前にもお話ししたように、中国はすでにイランと25年にわたる戦略的パートナーシップ協定を締結してイランとの結びつきを強化していますし、同様の内容をカバーする戦略的パートナーシップ協定をサウジアラビア王国とも締結済みで、すでに両国とも堅固な経済的な結びつきと、影響力を構築済みだったことも大きな背景かと思います。
また今回の仲介を助けた副次的な要因となったのが、サウジアラビア王国とイランの間に位置し、混乱の渦に巻き込まれているイラクにおける中国の影響力の高まりです。
2003年にアメリカのブッシュ政権がサダムフセインの政権を倒し、その後、昨年までアメリカとその仲間たちはイラクに駐留しましたが、政治は安定せず、間にはISの台頭も許すという失態をし、結局、20年近くの試みは見事に失敗しました。狙っていた油田の権益確保、特に第2次大戦後、米英に牛耳られてきた石油権益の再配分というsub-agendaが存在しましたが、その実現も見事に失敗に終わりました。
なぜ中国はここまで中東に肩入れするのか
例えば、イラク政府および世界銀行の出したデータによると、昨年1月から11月にイラクで発注された石油・ガス・電力プロジェクトの何と87%は中国(企業)によるものでしたし、それと並行して行われた政府間交渉で「石油決済に中国元(Yuan)を使用可能にする」という目的も叶えることができました。
特に、通常、米ドルが石油・ガスの決済通貨として位置づけられてきた中、中国元を国際決済通貨にすることが出来たのは大きな収穫と言われています。
この動きは、今後、物理的に隣接するイラン・サウジアラビアとのエネルギー取引でも援用されるとみられ、今後、国際的なエネルギー市場に大きな影響力を持つことも意味します。
この件については、すでにロシアのラブロフ外相もイランやサウジアラビアとの話し合いの際に支持する旨、表明しており、来週にも予定されている習近平国家主席の訪ロの際に、ロシアと中国で新たな国際エネルギー市場の創設に向けた話し合いがなされる中で決済通貨のことも合意される見込みとのことです。
中国がここまで中東に肩入れする理由はいくつか考えられますが、最大の理由は国内の石油消費の7割強を輸入に頼っており、安定調達先を確保することは、第3期目を迎えた習近平体制にとっては絶対的な条件と考えられているということでしょう。
潤沢な埋蔵量を誇り、OPECプラスを通じてエネルギー市場の価格決定権有する3各国(イラン、イラク、サウジアラビア王国)との強い絆の構築と維持・発展は、中国の長期的な発展を可能にする基盤だと考えられているようで、その確保のための政治的・外交的な影響力の行使というのが、今回の和解の仲介という立ち位置と思われます。
五蘊とはお釈迦様の教え
五蘊(ごうん)は、五陰(ごおん)とも表記されることがあります。
真言密教では、右手の親指から順に識、行、想、受、色、という「五蘊」(仏教で、人間の心身をつくり上げていると考える5つのもの)、左手の親指から順に空、風、火、水、地という「五大」(万物をつくり上げる5つのもの)をそれぞれ象徴すると考え、印でこれらを組み合わせることでさまざまな教えを説く。
五蘊は物質である体・肉体を意味する、色
そして、私たちの心・精神、考えるプロセスを細かく分類した受・想・行・識という4つに分かれます。
色 → 受 → 想 → 行 → 識
色、受、想、行、識の5つのうち、「色」だけは物質的なもの、物体を意味する言葉である。
人間でいえば肉体。つまり人間の形をなしているものはすべて「色」に分類される。
なので、体や髪の毛、爪や血液など、物体として存在するものはすべて「色」となる。
残りの受、想、行、識はすべて精神的な作用を意味している。
精神的な作用を4つに分類するという考えが、聞いただけでは理解しづらいところかもしれないが、順を追って説明するのでご安心を。
五蘊とは何かわかりやすく日常の例に当てはめると
五蘊をイメージするため、次のような状況をイメージしてください。( )カッコの中はサンスクリット語
<色> しき(ルーパ) 物体
体が動いています。そして体が動いた結果、例えば公園についたとしましょう。
この時点では特に何も考えずただ体が動いた結果公園にいたとします。
<受> じゅ(ヴェダナー) 感受
公園に行くと、小さい声を上げる”何か”がいることに気づきます。
この時はこの”何か”は目に入って来る映像、耳に入ってくる音だけの存在です。
<想> そう(サムジヤナ) 表象(象徴)
眼に入ってきた映像と耳に入ってきた音は、”小さな子供がこけて泣いている”のだとわかります。
<行> ぎょう(サンスカーラ) 意志
小さな子供の近くに行き、起こしてあげるという意思を持ちます。
<識> しき(ヴィジュニャーナ) 認識
小さな子供が泣いている姿を見て、「可哀想に、助けてあげないといけない」と受・想で理解した状況をどんな状況か認識するというのが識です。
私たちは普段何気なく行っていることは、深く考えて行っていることも、そうでないことも、すべては五蘊に当てはめることができます。
この五蘊という働きに気づいたお釈迦様はこの五蘊について次のように解説をしていきます。
仏教での色即是空。色や形は仮の物で本当は何もない。と言う意味です。
科学的には、量子の世界です。人間が纏っている肉体は仮の物、全ては魂の世界です。
従って、日本人(YAP遺伝子継承者)は死後、魂が次の世界(来世)に旅立ちます。
大和魂(ヤマトとはヘブライ語の 神の民です)神の民の魂です。
YAP遺伝子は、龍蛇の魂です。日本人は太古より蛇を神として祀り、蛇は殺したらバチが当たると言い伝えて参りました。神社参拝に行きますと、しめ縄がありますが、しめ縄は二匹(オス・メス)の蛇の交尾を表しています。
又、お宮の中カガミ(鏡)は、サンスクリット語のカガ(蛇)から来ています。そして、カガミの真ん中“ガ“を取るとカミ(神)になります。要は、自我(我:が)を取れとの教えです。欲我(我欲)を捨てろとの教えです。
神社での参拝は、お願い事をする場所ではなく、自分を見つめ直す場所であり、自我を捨て、欲を捨て、心を正し、本来の日本人に帰る社です。
写真・お釈迦様
印を結ぶことによって仏との一体化を目指す 仏像の鑑賞は“手元”から!密教の印を知ろう
こんごうかい金剛界大日如来のち智けんいん拳印(だいにち大日こぶしじるし拳印などの別名あり)。たいぞうかい胎蔵界大日如来はほうかい法界じょういん定印を結ぶ
仏像が両手の指で表すさまざまなかたちを印といいます。そのかたちは仏や菩薩など、それぞれにパターンがあり、同時にそれぞれの徳や悟りを表すものです。ここでは仏像を鑑賞するときに役立つ、印の基本を解説していきます。
ふ降さんせい三世みょうおう明王の降三世明王印(大印)
両手の指で多様なかたちをつくる印(いんそう印相、印契、密印ともいう)。そのルーツは、バラモン教の祭祀における舞踊において、有形無形のものを手指で表現したムドラー(ジェスチャー)にある。ムドラーの中には、現在の密教の印に通じるものが少なくない。
仏教は当初、偶像崇拝を行っていなかったが、釈迦の入滅から数百年経って、仏像がつくられるようになった。その頃の仏像が結ぶ印は、釈迦が悟りを得た状態を表す「定印(ぜんじょうじるし禅定印)」、釈迦が悟りを開いた後、惑わそうとする魔物を退けた際の「触地印(降魔印)」、釈迦の最初の説法を象徴する「せっぽうじるし説法印(転法輪印)」をはじめ、釈迦が行ったことや釈迦にまつわる伝説を説明する意味合いのものだった。
この3つの印に、仏教の力によって人々の恐れを取り払うことを示す「施無畏印」、人々の願いを聞き入れることを示す「与願印」を加えた5つの印は「釈迦の五印」と呼ばれ、その後の仏像の印としても多く用いられている。
印はその後、大乗仏教から興った密教によって、古代インドの神々やムドラーなどの要素が取り入れられた結果、諸尊の徳や悟りの内容を象徴するものとして、さまざまなかたちが用いられるようになる。さらには仏像だけでなく、僧が結ぶようになった。
だいいとく大威徳みょうおう明王のだんだ檀陀いん印(だいいとく大威徳こんぽんいん根本印)
真言密教では、手に印を結び(身密)、口で真言を唱え(口密)、心に仏を思う(意密)ことで、仏の身体(身)、言葉(口)、心(意)の働きを表す「三密」と一体化することで悟りの境地に達すると考える。そのため印を結ぶこと(身密)は、口密、意密とともに特に重視されている。
また、真言密教では、右手の親指から順に識、行、想、受、色、という「五蘊」(仏教で、人間の心身をつくり上げていると考える5つのもの)、左手の親指から順に空、風、火、水、地という「五大」(万物をつくり上げる5つのもの)をそれぞれ象徴すると考え、印でこれらを組み合わせることでさまざまな教えを説く。また手指はそれぞれ、親指=大指、人差指=頭指、中指=中指、薬指=無名指、小指=小指という異名で表される。
五蘊(ごうん)は、五陰(ごおん)とも表記されることがあります。
五蘊とはお釈迦様の教えを理解するのにとても大事な要素で、私たちの心と体の働きを詳しくまとめたものを言います。
五蘊とは「色受想行識」
五蘊は物質である体・肉体を意味する、色
そして、私たちの心・精神、考えるプロセスを細かく分類した受・想・行・識という4つに分かれます。
色 → 受 → 想 → 行 → 識
色、受、想、行、識の5つのうち、「色」だけは物質的なもの、物体を意味する言葉である。
人間でいえば肉体。つまり人間の形をなしているものはすべて「色」に分類される。
なので、体や髪の毛、爪や血液など、物体として存在するものはすべて「色」となる。
残りの受、想、行、識はすべて精神的な作用を意味している。
精神的な作用を4つに分類するという考えが、聞いただけでは理解しづらいところかもしれないが、順を追って説明するのでご安心を。
五蘊の色(しき)
五蘊の色は私たちの体・肉体を意味します。
色というのは仏教用語で、物質全般を意味しますが、五蘊の色は特に体を意味します。
五蘊の受(じゅ)
五蘊の受は私たちの知覚、物事を感じることを意味します。
受は「何かが見える・聞こえる・臭う・味がする・触れていて感じる」という五感で感じることを意味します。
五蘊の想(そう)
五蘊の想は受で感じ取ったもの事が何なのかということを理解することです。
受と想の違いを簡単に説明すると、下の画像を見てみてください。
五蘊の行(ぎょう)
五蘊の行は、受・想と来て判断した物事に対して、意思を持って何か行動に移そうとする心の働きを意味します。
上記の例で言うなら、楽しいよと伝えるのに、文字だけより絵文字がある方が伝わると思うから文章に追加しますよね。この意思を持つ心の状態を行と言います。
五蘊の識(しき)
五蘊の識は感じたものに対して、それを認識する働きを意味します。
受・想・行の次に来るというより、同時に発生することとイメージしてください。
五蘊とは何かわかりやすく日常の例に当てはめると
五蘊をイメージするため、次のような状況をイメージしてください。( )カッコの中はサンスクリット語
<色> しき(ルーパ) 物体
体が動いています。そして体が動いた結果、例えば公園についたとしましょう。
この時点では特に何も考えずただ体が動いた結果公園にいたとします。
<受> じゅ(ヴェダナー) 感受
公園に行くと、小さい声を上げる”何か”がいることに気づきます。
この時はこの”何か”は目に入って来る映像、耳に入ってくる音だけの存在です。
<想> そう(サムジヤナ) 表象(象徴)
眼に入ってきた映像と耳に入ってきた音は、”小さな子供がこけて泣いている”のだとわかります。
<行> ぎょう(サンスカーラ) 意志
小さな子供の近くに行き、起こしてあげるという意思を持ちます。
<識> しき(ヴィジュニャーナ) 認識
小さな子供が泣いている姿を見て、「可哀想に、助けてあげないといけない」と受・想で理解した状況をどんな状況か認識するというのが識です。
私たちは普段何気なく行っていることは、深く考えて行っていることも、そうでないことも、すべては五蘊に当てはめることができます。
この五蘊という働きに気づいたお釈迦様はこの五蘊について次のように解説をしていきます。
五蘊盛苦とは|四苦八苦の一つ
五蘊盛苦は「ごうんじょうく」と読みます。
そして、これは四苦八苦という人が人生を送る中で絶対に逃れることができない8つの苦しみの一つに数えられています。
五蘊盛苦の意味は、私たちの心と体である五蘊は苦しみを生むんだということです。
仏教の最も大事な4つの教え(四法印)の一つである一切皆苦(いっさいかいく)という言葉がありますが、この世は苦しみだらけなんだとお釈迦様は言います。
この世の苦しみとは、思い通りにならない苦しみのことを意味しています。
つまり、どんなに高い美容液を付けたり、エステに通ったり、良いものを食べたりしても人は遅かれ早かれ必ず老いていきますし、死にます。
体がある限りはその苦しみは逃れられないですし、生きていく中で、好きな人といつかは別れる苦しみを感じ、嫌いな人と出会ってストレスを感じるという心の苦しみからも逃れられません。
五蘊という存在は苦しみを生む元凶だということです。
四苦八苦(しくはっく)の仏教での意味
四苦八苦というのは、4つの苦しみと8つの苦しみという意味ではなく、4つの根源的な苦しみに、4つの苦しみを加えた8つの苦しみを意味していて、12の苦しみと言うことではありません。
四苦八苦以外でも、仏教では「苦しみ」という言葉がよく出てくるのですが、これらは「思い通りにならない」ことから感じる「苦しみ」を意味します。
そんな仏教における四苦八苦が意味する、8つの苦しみと言うのは、
• 生苦(しょうく)
• 老苦(ろうく)
• 病苦(びょうく)
• 死苦(しく)
• 愛別離苦(あいべつりく)
• 怨憎会苦(おんぞうえく)
• 求不得苦(ぐふとくく/ぐふとっく)
• 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
この8つを意味します。
最初の4つは生老病死(しょうろうびょうし)という四字熟語でもまとめられ、四苦に当たります。
それぞれ詳しく意味を見ていきましょう。
生老病死の意味
生老病死という苦しみは、どんな生活を送っても、人間である限り絶対に避けられない、つまり思い通りにならない苦しみです。
生苦|生きる苦しみ
生苦は生きることが苦しみという意味です。
この後見ていく四苦八苦の他の苦しみは避けられず、人生は苦しみばかりなのだと考えます。
仏教では一切皆苦(いっさいかいく)という、「人生全て苦しみ」と言う言葉まであります。
楽しいことも幸せな時間もあるのに、仏教はなんてネガティブだと感じますが、楽しい時間、幸せな時間は一生は続かず、さらに楽しい・幸せという状況を奪われると、強い苦しみを感じるものです。
「生きることが苦しみなのであれば、人生なんて送らなければいい」
そう考えるのではなく、仏教では「苦しみばかりの世界」でどうやって苦しみから解放されて生きるのかという実践的な教えがあります。このことは後程ご紹介いたします。
老苦|老いる苦しみ
老苦はそのまま、老いる苦しみです。
老いることを肯定的に捉える人や、考え方もありますし、実際老いることによる美徳などもあります。
しかし、体や頭が若い時と同じように働かなくなり、病気やけがにも苦しみやすくなりとやはり苦しみであると考えられます。
病苦|病を患う苦しみ
病を患う苦しみもやはり、人生の中で避けられない大きな苦しみです。
病は若い時、老いてから、どんな時でも苦しく、怖いものです。
死苦|死ぬ苦しみ
そして、最後は死ぬという苦しみです。
古今東西、古代の皇帝や王が不死の薬を部下に探せたり、祈祷をしたりなどをしましたが、やはり死ぬということは避けたいと思うのがほとんどの方の考えではないでしょうか。
人間がどれだけ良い人生を歩み、どれだけそれを続けられるように努力しても、必ず死という終わりがやってきます。
お釈迦様は生老病死の苦しみを目の当たりにし、その解決策とは何なのかを追求するために出家し、悟り(涅槃)の境地に達したのです。
生老病死についてや、生老病死についてのお釈迦様の言葉はこちらで詳しく解説しています。
生老病死とは|仏教の四苦八苦の四苦
生老病死とは実は仏教由来の言葉です。
生老病死は、ただ「生きる、老いる、病む、死ぬ」ではなく、
• 生苦:生きる苦しみ
• 老苦:老いる苦しみ
• 病苦:病む苦しみ
• 死苦:死ぬ苦しみ
4つの人生で避けることができない根源的な苦しみのことを意味する言葉です。
生老病死の読み方は「しょうろうびょうし」
生老病死では、生を「しょう」と読みます。
ここからは、生老病死という人生の苦しみを乗り越えるためにはどうすればよいのか、その答えを悟ったお釈迦様の言葉や、生老病死の意味についてさらに詳しく見ていきます。
生老病死の意味(お釈迦様の見解)
生老病死の意味は、先ほど見た通り、生苦(しょうく)、老苦(ろうく)、病苦(びょうく)、死苦(しく)の4つの苦しみのことです。
生老病死の苦しみを含み、仏教の苦しみと言うのは「思い通りにならないこと」「自由でない境地にいること」を意味します。
老いることや、病気にかかる苦しみ、また人はだれでも死ぬという究極的な苦しみは、どれだけ頑張っても今の科学では乗り越えられない、「思い通りにならない」ことの代表ともいえます。
老化防止、病気の予防などなどどれだけ徹底しても、老病死を避けることはできません。そして、自分が醜くなること、病気で苦しむこと、死が迫ることに対する苦しみにどんな人も少なからず苦しむのではないでしょうか。
では「生きる苦しみ」とはどういう意味なのかについて詳しく見ていきます。
生老病死の生|生きる苦しみとは
仏教では、一切皆苦(いっさいかいく)とも言いますが、この世のすべては苦しみなのだという考えからスタートします。
仏教では生きること自体苦しみだというのです。
もちろん楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、それらが存在しないと言っているわけではありません。
ただ、それらの楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことはいつまでも続くわけではなく、さらにそれらポジティブな感情が大きければ大きいほどネガティブな感情、つまり苦しみを生み出すと考えます。
例えば、とても気の合う友達や恋人、好きなことを想像してみてください。
その友達といると(好きなことをしていると)、いつも楽しく、最高の気持ちだと思います。もしそんな友達や恋人、好きなものが突然この世から失われるとしたらあなたはどう感じるでしょうか。
最高の気持ちは一転、最悪の感情を生むと思います。
好きな気持ち、楽しい気持ちが強ければ強いほど、苦しみが大きくなるのです。
これは一つの例ですが、大なり小なり、私たちの生活のあらゆる感情は苦しみに通じていると考えられます。
そして、老病死という人間として生きていると絶対に避けては通れない苦しみとも私たちは直面します。
このような苦しみばかりの世の中であるのなら、「生きること」それ自体がもはや苦しみなのだというのが、生の苦しみということです。
愛別離苦(あいべつりく)
愛別離苦とは、先ほど好きな友達や恋人との別れの苦しみという例もありましたが、「愛する人と離れることの苦しみ」を意味します。
人に限らず、ペットでも、モノでもあらゆる愛着の湧いた対象との別れはつらいものです。
愛別離苦についてはこちらで詳しく解説しています。
愛別離苦とは|意味や読み方,お釈迦様が説く乗り越える方法を解説
怨憎会苦(おんぞうえく)
怨憎会苦とは「憎い人、腹が立つ人と会うことの苦しみ」を意味します。
人はよほどのことがない限り、社会の中で生きていて、他人と関わり合いながら生きていきます。
会社の上司や部下、学校の腹立たしい人という同じコミュニティで、そのような出会いたくもない人間と出会ったり、買い物先の店員、道端の人、いたるところで嫌な思いをさせるような人と出会うことがあります。
それらは避けようと思っても、突然やってきて「憎い、腹立たしい」という感情を生み私たちを苦しめます。
求不得苦(ぐふとくく)
求不得苦とは「求めたものを手に入れることができないことの苦しみ」を意味します。
努力しても手に入れられなかったモノ、栄冠、地位、財産などなど、私たちの生活で求めて努力をしても、それが手に入るとは限りません。
強く欲しいと求めたものを手に入れられなかった時、強い気持ちがあればあるほどその苦しみは大きくなります。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
五蘊盛苦とは「私たちの心と体は苦しみ、この世の一切のものは苦しみ」ということを意味します。
五蘊(ごうん)という言葉が少し難しく感じると思いますが、これは簡単に言うと、心と体のことです。
この理解について、経典では「五蘊という心と体はすべて無常(消えていくもの)であり、無常ということは苦しみということ」と説かれています。
「私たちの心と体である五蘊が苦しみなのだ」と言われても、意味が理解しにくいと思いますので、少しかみ砕いて解説しますと、「私たちのもの」と考えている私たちの心と体という存在は、私たちの思い通りには動きません。
老いること、病にかかること、死ぬこと、どれも私たちの体が私たちの思った通りではありません。むしろ望みとは反対に変化していきます。
全ては変化していくということを諸行無常と仏教では言いますが、思い通りにならない心と体も実は苦しみ、苦しみを生むものなんだということなのです。
五蘊や五蘊盛苦についてはこちらで詳しく解説していますので、ぜひご覧ください。
五蘊盛苦の意味は、私たちの心と体である五蘊は苦しみを生むんだということです。
仏教の最も大事な4つの教え(四法印)の一つである一切皆苦(いっさいかいく)という言葉がありますが、この世は苦しみだらけなんだとお釈迦様は言います。
この世の苦しみとは、思い通りにならない苦しみのことを意味しています。
つまり、どんなに高い美容液を付けたり、エステに通ったり、良いものを食べたりしても人は遅かれ早かれ必ず老いていきますし、死にます。
体がある限りはその苦しみは逃れられないですし、生きていく中で、好きな人といつかは別れる苦しみを感じ、嫌いな人と出会ってストレスを感じるという心の苦しみからも逃れられません。
五蘊という存在は苦しみを生む元凶だということです。
その他生老病死など人生の苦しみをまとめた四苦八苦についてはこちらで詳しく解説しています。
四苦八苦の意味とは|語源となる仏教の教えや四苦八苦するの使い方など解説
仏教の「人生は全て苦しみ・一切皆苦」という教えの、本当の意味や、お釈迦様が教えるその苦しみから逃れる方法についてはこちらで詳しく解説しています。
五蘊皆空は「ごうんかいくう」と読みます。
五蘊皆空という言葉は、般若心経というお経にも出て来る、仏教ではとても重要な考え方ですが、かなり理解しにくい概念と言えます。
五蘊皆空の意味
五蘊皆空の意味は「私たちの心と体(五蘊)というものは、本当は存在してません」という意味です。
今この文章を読んでくださっているあなたも私も、実体は存在しない「空(=実体がないこと)」なんです。
と言われても五蘊皆空の意味は分かりにくいと思います。
今スマホかパソコンかを持っている手、文章を読んでいる目(色)
文字を読んで内容を理解しようとしている頭・心(受想行識)
五蘊は実在しているように思いますよね。しかしお釈迦様はこの五蘊は全部実体がないというのです。
照見五蘊皆空度一切苦厄という般若心経の一説
五蘊皆空の意味を深く見る前に、般若心経が説くとても大事な一説をご紹介します。
これは、「自分を含むこの世のすべてを構成する五蘊というものは実体がない(=五蘊皆空)とわかると、苦しみや災いから解き放たれますよ」という意味です。
つまり、五蘊皆空が分かれば、人生の苦しみから解き放たれるのです。
それほど大事な考えですので、難しいと思わず、ぜひ理解していただければと思います。
般若心経というお経についてはこちらで詳しく解説しています。
五蘊皆空の意味をわかりやすく例えると
五蘊皆空の説明については、たくさんの説明がありますので、これはあくまで一例です。
五蘊皆空をイメージしてもらうために、皆さんの「心や体の本体とは何?」について考えてみてください。
まず体について。
私たちの体は何兆もの細胞という小さな箱でできているというのはご存知だと思います。
そしてこの箱が心臓や肺や脳などなど、体・肉体を作っているわけです。
この箱の中には、ミトコンドリアという太古の昔は人の体の外にいたと言われる小さな生物がいることを中学校の理科で習ったのを覚えていますか。
つまり、あなたや私という一人の生き物の体を構成する最も基本的な要素の細胞には別の生き物がいて、私たちの体は何兆もの別の生き物によって生かされています。(※他にも口や腸を始めたくさんの微生物が体に住んでいます。)
こう考えると、私という一人の生き物と思っているこの体って
本当にたった一つの生物なのか?
たった一つの実体をもつもの?となりませんか。
意識についても同じです。
まだ完全に解明されていないのですが、この20年で意識と脳についてのたくさんの研究がなされています。
これらの研究の中の「私」という意識・実体ってあるのか?と感じる話をご紹介しましょう。
皆さんが自分だと感じているこのスマホやパソコンを見ている体に宿る魂や心というものが、体の中の考える機関である脳みそにあると考えるとします。
私たちの心であり、唯一絶対の「私」がいる脳みそは外からの刺激で操作することができるという研究結果があるのです。
2014年にバルセロナ大学(スペイン)、ストラスブール大学(フランス)、ハーバード大学(アメリカ)の研究者の共同研究で、脳と脳だけで遠く離れた人達のコミュニケーションが取れるのという実験がありました。
これは脳に直接触れず磁気によって脳を外から刺激して、ある実験者の脳で考えたものを、他の実験者に磁気という外からの刺激で伝えるというものです。
結果はインドとフランスという離れた地にいる人達は、ある人の脳で考えた情報をインターネットを通して別の人がいる場所に伝え、その情報を脳に磁気という外からの刺激によって伝えることで遠く離れた2人の脳が通信できたというのです。
この実験の何が「私」という固定した存在がないという話とつながるのかと言うと、簡単に言えば、磁気だけで「私」という存在は操作することができるということです。
目で見ていない、耳で聞いてない、感知していないものが、磁気の力で脳の中で生まれるのです。
磁気によって脳内の電流の流れを変化させれば、脳はもっと変化させることができるようになるでしょう。
私たちの「心」「意識」のある脳は磁気が支配することもできるのです。
だとすると「心」「私」「意識」という唯一絶対の実体ってあるのか?となりませんか。
ちなみに、この五蘊皆空の心の部分の捉え方には他にもあります。先ほどの絵文字の例を取って解説すると、
「あれはニコニコと朗らかな笑顔」と考えることもできますし、
「笑顔の裏ではおぞましいことを考えているサイコパスのような人の顔」と考えることもできます。
このように人の意識によって、物事の捉え方は千差万別で固定したものはない(実体はない)と理解できます。
話は長くなりましたが、私たちが思う唯一の存在の「私(体や心)」と思うものなんて存在しない、五蘊皆空なんだよと言えるのです。
五蘊無我(五蘊非我)とは
五蘊無我、五蘊非我は先ほど説明した五蘊皆空と似た概念です。
私たちの思う唯一絶対の「私」を構成する「五蘊」には実体なんかないのだということを意味します。
無我というのは「実体がない」ということを意味していて、この場合の「我」というのは、「実体をもつ唯一のもの」という意味です。
無我は簡単な説明だとイメージしづらいものですので、無我についてはぜひこちらをご覧ください。
無我の意味とは|仏教の無我とは深い世界観は苦しみから逃れる鍵
ちなみに、五蘊皆空や五蘊無我という理解は、諸法無我という仏教の最も大事な3つの
教えにも通じるものがあります。
諸法無我についてはこちらで詳しく解説していて、こちらではさらにイメージがしやすい、お笑い芸人の笑い飯哲夫さんの例を交えて解説しています。
この世界の苦しみから解き放たれるとても重要な考え方ですので、私たちの体や心(五蘊)には実体がないということをもっとわかりやすくイメージしたいという方はぜひこちらをご覧ください。
五蘊仮和合とは
五蘊仮和合というのは、五蘊皆空を理解すると、わかると思います。
あなたや私などの存在を構成する五蘊(心と体)というものは、実体がないものなのですが、今はそれは仮に一つになってあなたや私という存在になっているという考え方です。
存在していると思っている「私」という存在は、五蘊が仮にくっついて(和合)いるだけのものなのです。
五蘊を含むあらゆるモノは、因縁生起(縁起)によって存在していると考えます。
因縁という考えや縁起という考えについてはこちらで詳しく解説しています。
五蘊|般若心経の教え
長々と解説をしてしまい、五蘊について伝わっていることを願うばかりですが、この五蘊を理解した先に何があるのかというのが、最も大事なポイントです。
• 五蘊は色受想行識という心と体のこと
• 五蘊は苦しみの源:五蘊盛苦
• 五蘊は実体がない:五蘊皆空、五蘊無我
を理解したら、お釈迦様が説いた「苦しまず生きることができますよ」という仏教の教えに近づくことができます。
途中ご紹介した、般若心経の一説「照見五蘊皆空度一切苦厄」のことです。
もう一度この部分を簡単に意訳すると、
• この世は自分の思い通りにならないことばかりで、苦しみばかりです(仏教用語で一切皆苦と言います)
• 苦しむ原因は皆さんの考え方・欲望(煩悩)です。
• 人は富や名声、愛を得たいと考えます。それらを得ることができないことで悩み苦しみます。
また莫大な財産・愛する人を得ることができたとしてもそれらを失わないようにすることで悩み、それらを失うことで苦しみます(煩悩)
• この苦しみを生む煩悩が生まれる原因はこの世は絶対に逆らえないルールを理解していないことです。
この世のルール(真理)とは「あなたの体や心(五蘊)を含む、この世のものは何一つ実体がない」ということです(五蘊皆空)
別の言葉で言うと、諸行無常・諸法無我です。
この世のすべては変化していく、実体がないのであれば、そこに執着する心が無くなり煩悩に悩まされなくなるのですよ(仏教の最終目標)
となります。※あくまで簡単に解説したものですので、ご了承ください。
仏教の最も大事な4つの教え(四法印)も大まかに言うと考え方は同じです。
四法印とは「一切皆苦・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」の四つを言います。
• 一切皆苦
この世は苦しみばかり
• 諸行無常・諸法無我
苦しみばかりになる原因は煩悩であり煩悩の原因はこの世のルール(真理)を受け入れないこと。
この世のルール(真理)である諸行無常と諸法無我を理解しましょう。
• 涅槃寂静
この世のルール(真理)を理解して、ただしい努力をすれば、煩悩に苦しまない安らかな悟りの境地に達することができますよ
となります
仏教用語の五蘊はとても科学的
なるべく仏教用語を出さないようにしたのですが、五蘊を含む、五蘊盛苦、五蘊皆空、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静と漢字ばっかりの仏教用語が並んでしまいました。
しかし、これらの仏教用語・仏教の教えは全て「苦しみから逃れ、心安らかによい人生を歩むために必要なこと(悟りの境地・涅槃の境地に達すること)」というとてもシンプルな教えにつながっています。
このシンプルな仏教の教えは、お釈迦様というとてつもなく賢い方が、2500年前に考え付いたとても科学的で合理的なアプローチなのです。
物事の捉え方、私たちの心の動き一つを考えに考え、五蘊という5つのステップに分解して捉える。
仏教はこの五蘊のように、人生をどうやって生きるべきかを考えに考え抜いて、細かいステップに分解して説明してくれているのです。
涅槃という仏教が目指す世界についてはこちらで詳しく解説しています。
真言密教では、手に印を結び(身密)、口で真言を唱え(口密)、心に仏を思う(意密)ことで、仏の身体(身)、言葉(口)、心(意)の働きを表す「三密」と一体化することで悟りの境地に達すると考える。そのため印を結ぶこと(身密)は、口密、意密とともに特に重視されている。
また、真言密教では、右手の親指から順に識、想、受、色、という「五蘊」(仏教で、人間の心身をつくり上げていると考える5つのもの)、左手の親指から順に空、風、火、水、地という「五大」(万物をつくり上げる5つのもの)をそれぞれ象徴すると考え、印でこれらを組み合わせることでさまざまな教えを説く。また手指はそれぞれ、親指=大指、人差指=頭指、中指=中指、薬指=無名指、小指=小指という異名で表される。
印には数えきれないほどの種類があるが、諸尊(仏像)ごとにパターンがある。たとえば大日如来であれば、胎蔵界は膝の上に右手が上になるように、両手を仰向けに重ね、左右の親指の先を付ける「法界定印」、金剛界であれば金剛拳にした両手から立てて伸ばした左手の人差指を右手の小指で握る「智拳印」を結ぶ。そのため印は、その像が誰を表したものなのかを知る手掛かりにもなる。
真言密教では「十二合掌」と「六種拳」を、すべての印の基本となる印母としている。ちなみに印は、そのものに諸尊の力が宿るものであり、悟りである仏の真理へつながるもの。本来は、真理を伝える仏や菩薩などの真実の言葉である真言と並び、師から弟子に秘伝として授けられ、真言と合わせて結ぶものである。そのため、密教の僧が印を結ぶ場合、みだりに一般に見せることはせず、本来は法衣(衣服)の下で行う。
魂を浄化させ高次元の来世を
人々を覚醒させるために、色んな方法を試しても気づかない人は気づかない。
ところが、どんな人でも必ず気づかせることができる、神様が作った最強の解決策があるという。
それはいったい何か?それこそが「愛」だそうです。
愛と言っても、だたの愛では無い。万人を愛すことのできる愛…そう!「慈愛」である。
万人を愛すことなんて、そう出来ることではない。
いや無理だろう…と思うかも知れない。
ところが、遠い過去にそれを行った人がいる。
一体誰だ?それがイエス・キリストである。
イエス・キリストの慈愛はたしかに深かった…
愛が深いのは女性です。「愛」とはプラスのエネルギーである。
ところが、これに別の要素が加わって「恋愛」など変わると…そうとも言えない。
不倫や浮気などを見ても分かる通り、怒りや妬み、悔しさなどの負の感情…つまりは
マイナスのエネルギーへと切り替わることがあるのです。
喧嘩や争いでは、マイナスのエネルギーが働く。
因みに、人間はマイナスのエネルギーは強く発することができるが、プラスのエネル
ギーは弱いことが多い。
では、マイナスのエネルギーが強く働く時ってどんな時か?
怒りの感情が出た時が最も分かりやすいのではないでしょうか。
それくらいマイナスのエネルギーは出しやすいのです。
だが、実際には「愛」というプラスのエネルギーは強くて大きいそうだ。
この愛のエネルギーの強さは宇宙一だとも言われています。
だけど、多くの人が少ししか出せない。だから上手くいかない…という。
つまり、これまでの闇の世界(3次元 DS地獄)から、光の世界(5次元 新世界)へと
移行できるという。
それから、愛は愛でも「恋愛」は肉欲の世界で、DSが仕掛けたトリックの1つ。
お互いが好きになって恋愛というものは始まる。
が、例えば、いきなり好きな相手と連絡が取れなくなったとする…
すると不安になる。
不安になる理由は、自分を嫌いになったのではないか?フラれるんではないか?
自分よりも良い相手が見つかったのではないか?浮気しているんではないか?
などが挙げられるが、要するに恐怖の感情に陥るのだ。
そう、この3次元世界は、「恐怖」で縛られる…ということ。
何事も魂を浄化させ高次元の来世を目指せ!
写真:キリスト
深刻な地磁気嵐
地球が、発生原因不明の「G4」クラスの深刻な地磁気嵐に見舞われています。
前日から、3月24日に「突如」発生した地磁気嵐に地球が覆われています。これは、専門機関も予測していなかったものです。23日までG3 それが1日でG4に強化したようです。
地磁気嵐のカテゴリーレベルは、5段階にわかれていて、G5 が最大です。
今回の地磁気嵐は、カテゴリーレベルとして、「深刻な(Severe)G4」と分類されます。
この地磁気嵐のために、通常はオーロラなど観測されることがないよう地域でも観測されます。
オーロラはともかく、G4 レベルの地磁気嵐となりますと、何らかの影響が出るカテゴリレベルではあります。
G4 地磁気嵐の可能性のある影響は、
・重要な電子機器では、保護システムの誤作動により電力供給が遮断される可能性や、航空機、衛星機器のトラブルによる通信機器の障害等と色々なアクセスにも影響が出てくる可能性があります。
・地球の高層の「電離層」という場所の電子数の撹乱も最大レベルとなっているみたいですので、地震が懸念されます。衝撃のデータで、 3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化、マグニチュード9の地震があった前日までに日本上空の赤外線量と電離層の電子量が増大したことがデータ上で確かめられています。
その他にも、太陽活動は時期的にはまだ最大期に全然達していないのですが、太陽活動と金融危機との関連性もあります。又、ワクチン接種が始まって2年以上が経過し、超過死亡が、2022年12月になって急激に上昇していることなどを考えますと、「病気と太陽活動」というのは、意外な感じがされるかもしれないですが、これも理屈より、データで明らかに示されています。「太陽活動が増加すると、人間の命の価値が低くなる」と言うことです。
国家や組織自体の行動が暴力的になり始めますので、どこでも、暴力犯罪、DVなどの個人的なものから、暴動、戦争、大量殺人等が極端に増えます。歴史的そうなっています。
これからも歴史に倣うなら、今後1年から4年くらいの間に、非常に荒れた世となると思われます。
そして、自然災害等による食料危機の問題も懸念され、準備と対策が急務でしょう。
写真:https://gigazine.net/news/20200529-swarm-probes-weakening-magnetic-field/
守護霊と霊団
人間は生まれ変わる前に、次の人生はどのように生きるかを神に約束する。
これが所謂、ブループリントと言われるものです。
ところが、生まれ変わってしまえばその記憶は掻き消され一切無い。(稀に記憶を持
っている人もいるが)
記憶がないため、それを諭し教える存在が必要であます。
だから私たちには、神に約束したプランを成功させるために必要な知識のある霊が憑
いています。
そうした霊たちが、どのように進めば良いのか?を本当は教えてくれているのに、そ
れを感じることが出来ない人が多い。
それは守護霊や指導霊などで、1人の人間に対して何体か憑いているそうです。
だが、普通の人はそれに耳を傾けてないからその存在すら分からないという。
これは宗教の世界の話ではなく、私たちには霊が必ず憑いているそうで、そうした世界が存在することは何となく分かります。
それは私自身も無意識のうちに、何者かに導かれたり、操作されている感じがするか
らです。
因みに、今回のコロナで、ワクチン接種者の中には自分のプランを遂行するために接
種した人もいるだろう。
それは、自らが犠牲になることで、ワクチンが危険であることを人々に教える役目だ
ったのかも知れない。
このように私たちには良い霊も憑いているが、悪い霊だって憑く場合がある。
例えば、神と約束した通りの正しい道を歩んでいても、悪魔や悪霊がそれを邪魔しに
くることがある。
悪魔や悪霊は、直接邪魔をするのではなく、人に憑き、人に邪魔をさせる事が多いよ
うです。
ところで、自分に憑いている守護霊や指導霊を先祖の霊だと思っている人もいるよう
だが、先祖が子孫に憑くことは無いそうです。
先祖が、もしこの世を浮遊するなど、幽界に残っていたら、供養してもっと上の次元
に上げるなどして、光の方向へ進ませてあげることが大切だそうです。
それにしても、悪魔や悪霊には私たち人間では太刀打ちできないことがある。
そのために、世界には霊団のネットワークがある。
この霊団を創ったのは日本であり、多くの霊能者が悪魔や悪霊を祓うために世界中を
飛び回っている。
そして、その霊団の本部は熊本にある。(が一般人には分からないようになっている)
私たちが生きるこの3次元世界で悪さが出来ないようにしようと結成された霊能者の集団である。